他人から言われたこと 気にしがち

我を通せば通すほど、他人から言われたことが気になるのはなぜか。

図星で、己に自覚があることだからだと、反省の意も含めて、自尊心が傷ついているからだと思う。

と同時に、思考が巡り巡って最近思うことは、「なぜその人はそれをわざわざ言ったのか」である。相手の意図をくみ取り、分析したい自分がいる。

一重に、「不快だったから」だろう。自己の感じた「不快」を、堪えきれず相手にぶつけた結果だろう。

では、なぜ、その相手はその出来事を不快に思うのか。何を「不快」と認識するのか。その基準は、どこで形成されるのか。それを追求することで、相手の性格や行動を分析する糸口を見いだせるのではないかと考え始めて、たどり着いた持論がこれだ。

 

「人は、所属してきたグループやチームに人格形成される」

「特に、思春期を長時間過ごしたであろう、所属団体に帰依する」

 

その、最たるものが、学生時代の「部活動」だ。

 

⚠️ここから先は、根拠のない、偏った経験則だけに基づいた、極論による持論が展開されていると覚悟して読んでいただきたい⚠️

 

野球部出身者は、「仲間意識が強く、群れたがる」「後輩は先輩を立て、先輩は先輩面したがる」「苦しみを一緒に味わわせようとする」

バレー部出身者は、「仲間想いで協調性がある」「一方で、自我を隠しがちなので、実は頑固者が多い」

サッカー・ハンドボール・バスケ部出身者は、「弱肉強食」「チームプレーに勝る個人技の寄せ集めで勝てる」「ナルシスト」

陸上・水泳・武道など、個人技の部活動出身者は、「一人で何とかしようとする」「群れるのが苦手・嫌い」「他人は敵」

吹奏楽・合唱部出身者は、「自己を犠牲にし、他者と価値観をすり合わせていくのが得意」「勝ち負けにこだわる」

 

もちろん、これらの活動に「所属していた」だけでは、そこまで影響はない。例えば、ずっとベンチだった、とか、部活動をさぼりがちだったとか、幽霊部員だったとか。その活動に、のめりこんでいればいただけ、上のような性質の人間になりがちだという話である。また、これらの活動を上回る時間や濃密な関係をともに過ごす相手や団体があれば、それはまた新たに人格形成の場を設けたことになるので、これらの部活動に所属していたからと言って、絶対にそういう性格になるわけではない。あくまで、「社会活動の中での表面化する人格」だと考えたい。その人の人生まるごと、これらの部活動に影響するわけではないからである。

 

という持論を踏まえて、改めて、他人に言われことを分析すると、相手が不快な思いをぶつけてきた意味が驚くほど理解でき、また、自分とは生きてきた場所が違い、価値観が違うので、それを容易に容認できない自分の気持ちにも納得できるのである。

そして、さらに、フィジカルダメージの経験が多い人ほど、メンタルも強くなっていく(参照:ひろゆき)ので、相手は自分なんかより、ずっと強メンタルなんだろうな。こんな風に、うじうじと何日も考えあぐねたり、悩んだりしないんだろうなと思うと、静まりかけた怒りがまたじわじわと湧き上がるような気がしてくるので、今日はここらへんでやめておこうと思う。

 

相手は、「今頃、パフェ食ってるよ」である。考えても仕方のないことである。